清林山 佛乗院 金蔵寺
           せいりんざん ぶつじょういん こんぞうじ   ひよしふどうそん 
第五霊場 清林山 佛乗院 金藏寺 日吉不動尊

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平成廿二年十一月廿一日

横浜 最高気温 16.5℃ 最低気温 10.1℃ 曇り時々晴れ 

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清林山 金藏寺

日吉不動尊

無垢光童子

天台宗

御詠歌

くもりなき
不動の鏡 
あらたけく
法の光は
世々を照らさん
御朱印 御影 無垢光(むくこう)童子

 金藏寺は、正式には清林山 仏乗院 金藏寺と称されています。
 別称「鎮護國家道場」ともいいます。
 本尊は天台宗第五代座主・智証大師(ちしょうだいし)作と伝えられる大聖不動明王です。
 これが日吉不動尊と呼ばれ、親しまれています。
 横浜七福神の一つで、寿老人が祀られているお寺でもあります。
 境内には金藏寺幼稚園がありましたが、平成20年3月31日廃園となりました。

お寺の縁起
 平安朝時代の貞観年間(859年〜876年)に第五十六代清和天皇の勅願により天台宗代五代座主・智證大師円珍和尚が東国教化の途中で当地に立ち寄り、
地形が比叡山に似ることを機縁として一宇を建立したのに始まると伝えられる。
 円珍はさらに自ら大聖不動明王の御尊像を刻んで中心となる堂に安置し、比叡山と同じく日吉社(山王社)を勧請してその鎮護となした。こうして堂宇を建立し、
不動明王を御本尊とする寺院を開基したのである。
 円珍は自分の生まれ故郷の名に因んで、当山を金藏寺と号した。
すなわち円珍は、弘法大師の甥にあたり、弘仁五年(814)に讃岐国の金藏郷で生まれたのである。
「日吉」という当地の地名も、このとき金藏寺の鎮守として円珍が勧請した日吉社に因むという。
 古来「東三井寺」或いは「新三井寺」と称され、鎮護国家祈願の勅願寺であった。また、塔頭二十三軒を有する、修験者の一大安居道場でもあった。
 江戸に幕府が開かれると、徳川三代将軍家光公より五十五石の御朱印を賜り、関東の檀林寺に指定され、末寺五十二ヶ寺を統轄する中本山として栄えた。
境内はおよそ二万坪で武州屈指の天台宗の名刹として知られた。
徳川初代・二代将軍家康・秀忠父子が慶長八年(1603)に寄進したもので、元禄十四年(1701)に五代将軍綱吉公とその母桂昌院が改鋳し、重さが六百貫もある。
 


               
10時16分東横線の横浜駅を出ました。   10時35分日吉駅に着きました。
駅前の普通部通りを約10分進むと山門に着きました。
開山智証大師創建
鎮護國家道場 金藏寺
比叡山根本中堂不滅之法燈御分燈奉安
関東三十六不動尊第五番霊場
武相二十八不動尊第八番霊場
准秩父三十四観音第三番霊場
横浜七福神寿老神霊場
 
港北七福神
寿老神 
金藏寺 山門 徳川家康・秀忠父子により寄進された梵鐘 
「一隅を照らす」と書かれた木製の灯籠 金藏寺沿革
緻密な彫刻に彩られた派手な水盤舎に「大山のぶ代」の千社札が貼られたました。
大山のぶ代さんは、「どらえもん」役で活躍された方です。

西国三十三観音霊場廿九番札所松尾寺(平成廿一年四月三十日にお詣りしました)
「大山のぶ代」の千社札は、西国三十三観音霊場廿九番札所松尾寺(上3枚の写真)にも貼られてました。 
柱には龍が巻き付いて、手すりには眼を見開いた顔がこちらを睨んでました。
本堂に行き大きな数珠を回してお詣りしました。 脇に納経所がありましたので戸を開けて中に入りました。
お不動様にお経をあげました。 比叡山根本中堂不滅之法燈御分燈が灯っていました。
御朱印をいただいて外に出ますと、極色彩の六地蔵堂がありました。
日光東照宮を思わせる絵が続いています。
内側だけでなく外側も色彩豊かな浮き彫りに飾られています。
本堂の脇にも極彩色の彫り物がある建物があります。
辯天堂です。
建物の内部にも彫り物や絵が飾られています。
天井には龍が描かれています
二階に上がりますと辯天堂の扁額が間近で見られます。

                                 日吉山王権現の由来
                      日吉は川崎市と横浜市港北区にまたがる地名で世間では慶應義塾が
                      日吉校舎の在地(港北区)として通っている。川崎市役所日吉出張所、
                      日吉中学、同小学校共に同市北加瀬にあって、旧日吉村の広がりを示して
                      いる幕末から明治前半にかけてこの地には駒林、駒ヶ橋、矢上、箕輪、
                      鹿島田、小倉、北加瀬、南加瀬、苅宿、木月の十部落がああった。
                      明治廿二年町村制実施で一つの村名をきめかねた末、東の三井寺といわれた
                      駒林金藏寺の裏山に霊験あらたかな日吉山王権現が鎮座され、
                      当寺第三十一代漢学者岩村眞道師により日吉村と名づけられた
                      昭和十四年横浜市神奈川区に編入。
                      昭和十六年港北区となり日吉村名は消えたが碑は現存して居る。
                      先代師僧第三十三世無我相院大僧正大見大和尚五十回忌に当たり神明造り神殿を
                      建立し報恩謝コの為と金藏寺仏法興運髀ケを祈念するものなり
                                            平成六年十月十七日
                                                金藏寺第三十四世 大僧正大亮謹白

奥之院弁天 天保八丁酉年十二月巳巳日鎮座
            不動明王                     脇の道を上がって行くとお堂がありました。              
奥之院不動堂
寛政三辛亥年
山を降り辯天堂に戻りました。
もう一度龍の絵を眺めました。
辯天堂正面の天女
これは寺紋でしょうか 辯天堂の扁額  観音堂 
11時40分 山門を後にしました。
お昼時でしたので駅前のラーメン屋さんでネギラーメンを食べ、12時13分電車に乗りました。