大聖山 真福寺
関東三十六不動霊場
                   だいせいざん  しんぷくじ    わだふどうそん
第四番霊場 大聖山 真福寺 和田不動尊

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平成廿二年十一月廿一日

横浜 最高気温 16.5℃ 最低気温 10.1℃ 曇り時々晴れ 

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大聖山 真福寺

和田不動尊

光網勝童子

高野山真言宗

御詠歌

偽りの
世にも稀なる
真福寺
法のまことの
花さきにけり

御朱印 御影 光網勝(こうもうしょう)童子

お寺の縁起


このお寺は、かつて相模一帯を支配していた武士、三浦一族の中でも武勇の誉れ高く名高い和田義盛が建立したと伝えられております。
源頼朝の重臣を務め、平家打倒を悲願していた和田義盛の夢枕に不動明王が現れ、
「我を勧進すれば悲願ことごとく達成せん」とのお告げを授けました。

早速義盛は堂宇を建立し、夢に出てきた不動明王の像を作り、ここに祀ったのが治承元年(1177)のことと伝えられています。
このお寺の不動明王は、他の像と異なり宝剣を前に突き出した珍しい姿をしておられます。

三浦一族の滅亡、明治の廃仏毀釈、関東大震災、大東亜戦争による焼失など幾多の試練を乗り越えつつも、
時にはバラックの中に灯明をともして守られ続け、今に至っています。

源頼朝が鎌倉幕府を開くにあたって彼を支えた有力な豪族の一つに、三浦一族があります。
その三浦一族の中に和田義盛という豪傑がいました。
いまだ平氏一族が権勢をほしいままにしていた治承元年(西暦一一七七年)、和田義盛は平氏を倒すことを心に念じていたが、
ある夜、夢に不動明王が現れた。
「我を勧請祈願すれば必ず悲願成就せん」(『』関東三十六不動霊場ガイドブック』から引用)との夢告を得た彼は、
夢に現れた不動明王の姿を刻ませ、不動堂を造って安置した。


6時過ぎ家を出ると明るくなっており、東の空には明けの明星が輝いていました。 6時35分京浜東北線で横浜に向かいました。
8時7分横浜駅に着き、相模鉄道に乗り換えました。
8時28分和田町で降りると、駅前に和田町商店街がありました。ここを通り抜けると良かったのですが、左に曲がってしまったので
遠回りしてしまい、常盤台歩道橋の処から真福寺に入りました。
六地蔵とは
改めても改めても繰り返す迷いと煩悩の愚かな人生行路を導いてくださるお地蔵さまです。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界は人間苦悩の有り様を象徴したものです。
この悩みの世間から抜け出す道として、仏さまは、布施・持戒・忍耐・精進・禅定・智慧を学びとることを説いておられます。
悪を捨て、善を生きる道の実践が、幸せへの道ではないでしょうか。
念ずれば花ひらきます。
合掌 観世音菩薩 修行大師
本堂に上がりお不動様をお詣りしました。

五鈷杵
五鈷杵とは、金剛石(ダイヤモンド)が物体を打ち砕く事を意味し、佛教では釈尊の説法はすべての邪心・煩悩・悪心を打ち砕くと同時に、
人身に迫る諸悪をも打ち払う意味です。
皆様が五鈷杵を静かに撫ぜると身体にまつわる諸々の因縁や押し寄せる諸悪を防ぐと伝えられます。
お大師様が持っておられるのもその為です。
是非、心に念じながら撫ぜてご利益をお受け下さい。
南無大師遍昭金剛



ご住職様から直々にお話を伺うことが出来ました。
握手をされたとき大きな手で強い力で握られ驚きました。
お土産にたくさんの銀杏を頂きました。
有り難うございました。


水琴窟 心地よい響きが何ともいえませんでした。   生かせ命  浄水
武相不動尊第拾五番札所                             関東三十六不動第四番札所
霊場参道には坂東三十三観音霊場、西国三十三観音霊場の踏み石が並んでいました。
もしかしたら秩父三十四観音霊場や四國八十八霊場もあったかもしれません。
満願地蔵尊
このお地蔵さまは元和田町駅裏手の台地にあったものです。
その台地には昔浅間宝寺という寺がありましたが、
平家の残党を隠したというので焼き討ちに合い、焼け跡から沢山の遺骨が出てきました。
亡きその霊を慰めるため、真福寺を建てた田口重勝の弟の重信が地蔵堂を建立して祀ったのです。
明治初年星川小学校の最初の校舎を建てるのに支障を来たし、この山門のそばに移されました。
全身に石で叩いて祈った窪みが残っています。
こころからお祈りください。
帰り道に花梨がいくつかあ色づいていました。
ここから入っていけば遠回りしないですんだのでした。
9時55分の電車で横浜まで戻りました。