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あぶりさん | |
第一霊場 雨降山 大山寺 大山不動尊 | |
平成廿二年八月四日 |
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横浜 最高気温 32.3℃ 最低気温 26.3℃ 快晴 |
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雨降山 大山寺 鉄造(くろがね)不動明王 矜迦羅(こんがら)童子
真言宗 大覚寺派 |
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御詠歌 弘仁の 御宇に大師は ここに来て 加持の閼伽水 のこしたまへり |
御朱印 | 御本尊御尊影 | 矜迦羅(こんがら)童子 | ||
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大山寺の縁起 大山寺は、奈良の東大寺を開いた良弁僧正が天平勝宝七年(755)に開山したのに始まります。相模の国に生まれた良弁僧正は晩年に父母を思い当地を訪れて大山に登りました。峰上に登ると、僧正は地面から五色の光が出ているのを見出し、不思議に思って岩を掘り返してみると石像の不動明王が出現しました。不動明王よりこの山が弥勒菩薩の浄土であり、釈迦の変わりにこの山に出現して法を守護し衆生を利益しているとの託宣をうけた良弁僧正は、一旦奈良に戻り、聖武天皇より東大寺を離れる許しを得るとともに、勅願寺の宣下を賜りました。東大寺建立の際に協力した工匠・手中明王太郎を伴って大山に戻った良弁僧正は、3年間当地に住して伽藍を整えました。 行基菩薩の高弟である光増和尚は、開山良弁僧正を継いで大山寺二世となり、大山全域を開き、山の中腹に諸堂を建立しました。その後、徳一菩薩の招きにより、大山寺第三世として弘法大師が当山に入り、数々の霊所が開かれました。大師が錫杖を立てると泉が湧いて井戸となり、また自らの爪で一夜にして岩塊に地蔵尊を謹刻して鎮魂となすなど、現在は大山七不思議と称される霊地信仰を確立しました。 また日本古来の信仰を大切にし、尊重すべきとのお大師様のおことばにより、山上の石尊権現を整備し、伽藍内に社殿を設けるなど神仏共存を心掛け手厚く神社を保護してきました。 元慶八年には天台宗の慈覚大師の高弟・安然が大山寺第五世として入山しました。伽藍を再興し、華厳・真言・天台の八宗兼学の道場としました。これより大山は相模国の国御岳たる丹沢山系の中心道場として各地に知られ、別当八大坊をはじめとする僧坊十八ヵ院末寺三、御師三百坊の霊山として栄えました。 源頼朝は太刀を奉納して戦勝を祈願し、見事成就しました。ここから有名な「納め太刀」の風習が始まりました。 鎌倉胡桃谷大楽寺の願行上人は、一時の輝きを失っていた大山寺の再興を江ノ島の龍穴にこもって祈願し、鉄造不動明王像ならびに矜迦羅(こんから)、制多迦(せいたか)の二童子を鋳造しました。上人はこの三尊像を大山に安置し、諸堂の復興がなりました。 春日局が家光のため当山にこもり、家光が世継になるように不動明王に祈願しました。その後駿府に向かい、家康に直訴をしました。徳川家康は大山寺を清僧の地となし、実雄法印を学頭として大山寺を改革しました。その後、春日局は再三大山寺に参拝しました。徳川家光は大山寺の造営に着手しました。これを寛永の大修理といわれるものです。その後、大山不動参りは江戸大衆の中にも広がりかつ定着して大山寺の全盛時代を迎えました。 しかし、明治初年の廃仏毀釈により、現在の阿夫利神社下社のある場所から現在の場所に移りました。関東一円を初め日本中の強い信仰に支えられ、幸いにもご本尊を初めとする、数々の寺宝は破壊を免れました。明治期に数多くの信者たちの寄進によって現在の位置に本堂をはじめ数々の伽藍が再興され、現在に至っています。 大山寺はまさに多くの信者に支えられた一大霊地といえます。 (雨降山 大山寺 公式HPより) |
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5時50分 家を出たときはもうこのように太陽は高く上がり、照りつけていました。 6時17分発埼京線で新宿へ向かいました。 |
小田急電鉄HPへ 7時16分発の急行で伊勢原へ |
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8時14分伊勢原駅に着きました。 北口駅前には大山寺と阿夫利神社の大きな案内が出ていました。 | |||
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線路の反対側には大きな鳥居があり、柱には関東総鎮護、大山阿夫利神社とありました。 | |||
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4番乗り場 | 神奈川中央バスHPへ ↑ | 8時41分発のバスに乗りました。 | |
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9時8分 終点大山ケーブルに着きました。 有名な大山駒 | 大山宿坊街 ↑ | ||
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9時11分 阿夫利神社の御神燈を左に見て坂を上がっていきました。 | |||
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大山このような石段が続く参道でした。 皇帝ダリアが大きく育ってました。 | |||
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大山街道 | 秋明菊がもう咲きそうでした。 | 雨降山(あぶりざん、あめふりやま) | |
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左に曲がり、雲井橋を渡りました。 | 右がケーブルカー駅でした。 | 下社から山頂(上社)まで1時間30分 | |
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9時25分 ここで女坂と男坂に分かれました。 右の男坂を見ると、急な石段がありました。 | |||
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左 不動大明王 右 阿夫利神社 これより先、女坂参道です。 |
女坂に七不思議あり ↑ | 9時26分 不動尊道 消防五番組 | |
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9時28分 この橋で休みました。汗びっしょりでした。 | |||
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歩いて行くとミツマタの木が植えられてました。鹿が出るんですね。 | |||
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9時42分 このような石段が次から次へと続いていました。 | |||
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石仏に手を合わせて歩きました。 | |||
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↑ 女坂の七不思議 その一 水が湧き出ていました。 | |||
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女坂の七不思議 その二 ↑ | 子育て地蔵 | ||
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9時46分 まだまだ石段が続きました。 | 爪切り地蔵 | 女坂の七不思議 その三 ↑ | |
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女坂の七不思議 その四 ↑ | |||
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9時50分 前不動 寶珠山 来迎院 | |||
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来迎院の隣には龍神堂がありました。 | 倶利伽羅の扁額 ↑ | 龍神堂(八大堂) ↑ | |
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9時52分 この石段を上がると本堂の案内板がありました。 | |||
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本堂への最後の石段を上りました。 両脇にはまるで童子が並んで出迎えているようでした。 | |||
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童子には、僧守護童子、虚空護童子というような名前がそれぞれ書かれてました。 | |||
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9時56分 ようやっと大山寺の本堂に着きました。 | |||
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境内から相模平野が見渡せました。 遠くに江ノ島が見えました。 | |||
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第一番霊場 大山寺 ↑ | 御本尊 鉄造不動明王 | ||
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御祈祷をしている方がいらっしゃいました。ご住職さんの法螺貝の大きな音には驚きました。 | |||
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御本尊は國宝不動明王で、このお不動さんは國宝ではありません。 | |||
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撫で仏 毘頭慮尊(ビンズルソン) 福鈴 | |||
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青銅宝篋印塔 ↑ ↑ | |||
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鐘楼 | 木遣塚 江戸消防記念會第四區建立 |
「八大童子」 八大童子とは不動明王に仕える童子で (眷属・脇侍)、 中国で撰述された 「聖無動尊一字出生八大童子秘要法品」 (略して「秘要法品」)という経軌を よりどころとしています。 矜羯羅(こんがら)童子 制多迦(せいたか)童子 恵光(えこう)童子 清浄比丘(しょうじょうびく)童子 恵喜(えき)童子 烏倶婆ガ※(うぐばが)童子 指徳(しとく)童子 阿耨達(あのくた)童子 ※烏倶婆ガのガの漢字は、 言偏に我と書きます。 |
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滝行道場 倶利伽羅滝 | |||
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伯老日坊大天狗大神 | 法現出世稲荷大明神 | ||
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六地蔵 | 大山寺の扁額 | 見事な彫刻 | |
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大師堂 | 大山寺 ↑ | 鉄造 不動明王及二童子像 ↑ | |
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10時45分 無明橋を渡って阿夫利神社下社へ向かいました。 全山に御祈祷のお経と太鼓が響き渡っていました。 | ![]() |